プランシー
コラン・ド・プランシーは、フランスを代表する悪魔学者。”サタン”を頂点とする悪魔王国の基本構造を明らかにした人物である。
プランシー、本名ジャック・アルバン・シモン・コランは、フランス東北部、シャンパーニュ地方のプランシーに生まれた。フランス革命時の指導者ダントンの甥という説もあるが定かではない。
トロワのコレージュで学んだ後、1812年にパリで教職につく一方、この頃から著述活動を開始している。
『地獄の辞典』の初版を1818年に出版した後も『悪魔の自画像』(1819年)、『封建制辞典』(1819年)、『聖遺物辞典』(1822年)など多くの著作を残している。いずれも反権力、反教会的な内容であった。
しかし1824年から不動産業に手を出して結局失敗し、1830年にベルギーに逃れている。その後1837年にフランスに戻ったときには敬虔なカトリック教徒となっていた。
帰国後は生地プランシーで出版業を営んで宗教関係の書物を出版する一方、『地獄の辞典』の改訂を生涯にわたって続けた。
『地獄の辞典』は、多くの悪魔の能力や来歴を明らかにしているが、その内容については、プランシー自身が悪魔を呼び出して彼らが語る内容を記したともいわれている。ベルギー滞在中彼がカトリックに改宗したのも、死後悪魔に魂を奪われることを恐れたためという噂もある。
しかし実際にはその内容は、当時ヨーロッパに伝わっていた様々な伝説を集大成したものであり、プランシー自身の創作もかなり含まれている。